平素より弊部に関わってくださっている監督方、コーチ陣の方々、OBOGの方々、保護者の皆様、ご支援ご声援本当にありがとうございます。4年藤田寛史です。
最初に、迷惑をかけながらも自分を支えてくれている家族に感謝を伝えたいと思います。
いつもありがとうございます。
自分はあまり気持ちを表に出さないですし、文章にすることは苦手で、拙い文章にはなりますが、どうかご容赦ください。
今までの想いを書いていこうと思います。
自分は、関東や関西で友人がラクロスをしているから。そして高校まで運動部に所属し、ある程度成績を残していた、その自信もあり、やってみるかと思い、入部を決めた。
日本一を目指しラクロスをしていた友人の存在は本当に大きかった。ラクロス以外にも力を注いで取り組んでいるので、心から尊敬している人たちだからだ。
同期で一番遅く部活に入部し、活動していた期間も短い。そんな時間を振り返ってみようと思う。
大学から新しい場所、関西に来る決断をした。初めは何もかも新鮮で目の前のことに精一杯だった。
下宿やラクロス、そして留学まで経験させてもらった。本当に家族に助けられていたんだなと改めて何度も実感した。
ただ苦しいことばかりだった。慣れない環境で旧友もいない。正直誰を頼ればいいかわからなかった。
「向こうに残れば良かった。」と考えたことも何度もあった。部内に同じ学部の同期はいない。
居心地も全然違った。練習中は関西弁が飛び交い、圧倒された雰囲気を感じていた。
それでも自分らしくやろうと強く思い、練習に打ち込んだ。俊徳道の壁に行ったり、のりやだいち、りょうへい、きょうすけと残って夜シュー練したり。
関東出身で変に注目を集めていた雰囲気は好きではなかった。ただ今思えば関西の雰囲気を見せられていたのかもしれない。
心に残っている出来事として新人戦ウィンターがある。関西ベスト8決定、大阪大学戦に出させてもらえた。
周りに助けてもらいながら必死にグラウンドに立ち続けた。
多くの先輩方や同期の応援が始まり、自分の名前が聞こえた時は正直嬉しかった。
ボールを持った時、自然と会場が盛り上がった気がした。
このチームの一員として戦えているんだ、そう実感した。延長戦までもつれ込み、1点差で試合が終わった。
試合後は自然と涙が出た。悔しい気持ちはもちろんあったけれど、それ以上に新しい場所で戦い続けた苦労やプレッシャーが大きかったからこその涙でもあった。
当時4年生だった米さんの代。観客席から応援していたが、本当にかっこよかった。近畿大は強い。そう証明しているように感じた。
その時から、とも、西原、けんぼー、たいき、岡村、はるかはベンチ入りし活躍していた。
先輩のようになりたい。他大学で活躍している奴に追いつきたい。そんな思いを持ち、自主練していた。
コロナ前でつま恋に参加したことも覚えている。まるやきょうすけ、だいすけやりょうへいと試合に出たのはそれが最後だった気がする。今Aオフェンスとして活躍しているメンバーだ。
普段戦えない他地域のチームと試合をして、色々学んだことが多かった。次は俺の番そう強く思った。
そして月日は流れ、いよいよ最終学年になった。自分は遅れてチームに合流した。
どんな形でも最後までやりきる。
Bで勝つ。
キックオフミーティングに心新たにもう一度という気持ちで参加した。コロナウイルスで
全国が大変な状況になり、部活動への情熱が揺らいだことを思い出す。
やることが多くなり、自分を見つめ直した時期でもあった。それでもひたすら壁に行き、体幹やトレーニングをして、動画を見た。
自分で動画を撮って先輩方にアドバイスをお願いしたり、直接南グラウンドで指導してもらったこともあった。
ただ周りのみんなとのレベルは明らかに違った。なんとかレベルアップしよう。そういう気持ちで臨んだ。人数が少ない練習だったので負荷はかかっていた。
オフの日にがっつり身体を休めても、疲労は残っていた。でも必死に食らいついた。
心を奮い立たせて、朝早くからグラウンドに行ってを繰り返した日々。上手くいかなくて家で泣いたことも何度もあった。
練習ではたつやじょうがまとめてくれたおかげで少しずつ形になっていったと思う。
4年としてチームのために技術でもその他のことでもみんなに教えなきゃいけない。それでも、自分のことでいっぱいだった気がする。
Aと練習した時があった。正直怖かった。レベルの違いもあったし、チームスポーツだからこそ余計に。
自分のレベルを知ってるからこそ、入らない方がいいのでないかそう考えたこともあった。
合わせて練習してくれているなと感じたことすらあった。ただ、全力で対人してくる選手もいた。
そんなこんなでリーグ戦、Bリーグともに始まった。
リーグ戦で活躍している4年も3年も全員輝いてみえた。Bリーグは十分に人数がいないため両方出てる選手もいた。
予選、決勝合わせて京都産業戦、名古屋戦、立命館戦、関西学院戦、同志社戦と5試合戦った。全日学では早稲田大学と試合もした。
地区が違うので、生まれ育った場所で試合をするなんて思っても見なかった。気持ちはすごく昂っていたけど。
試合が終わった時、関東に残っていたら俺はどうしていただろう。ふと考えた。
ラクロスに出会っていればやっていただろう。それくらい心に残った時間だった。
ラクロスに出会ってなくても間違いなく大学スポーツは続けていただろう。
改めて本当に頼れる同期のおかげで勝ち進んだと実感できた。
たかべ、まる、りく、じょう、よしあき、みげる、たいせい。そして3年のみんな。マジでありがとう。
Aリーグ戦は勝ち進み、大阪大学との入れ替え戦が決まった。
応援席からグラウンドで戦っている選手をずっと見ていた。
わかっていたけど、辛かった。みんなの顔を見た時、何とも言えない気持ちになった。
試合が終わって選手から「ありがとう」と言われたり、喜びの言葉を交わした。
あの場にいなければ経験できなかったし、忘れられない時間になった。
近畿大学体育会男子ラクロス部には
心からラクロス大好きなやつ。ラクロスに熱いやつ。めっちゃ努力してるやつ。野球の話で盛り上がってるやつ。標準語を馬鹿にしてくるやつら。なにかにつけて馬鹿にしてくるやつ。視野が広いやつ。仲間思いなやつ。後輩思いなやつ。笑わせてくるやつ。気遣ってくれるやつ。誰かのために行動してるやつ。ゲームや漫画にハマってるやつ。面白いやつ。と…がいる。
ほんとにいろんな新しい人に出会えた。大学内外問わず人脈がさらに広がった。それが一番嬉しかった。大学スポーツの魅力の一つだと思う。
最後に、ラクロスを選んでよかった。本当にそう思う。今までの自分の選択や決断に後悔なんてあるはずがない。
こっちにきて改めて地元の良さに気付かされた。全く違う場所で粘り強くやり切った自信がある。どんなに辛くても上を向いた。
高校までの経験に加え、大学での様々な経験から学んだことは数えきれない。自分をさらに大きくしてくれた。
ラクロス向いてないなと思った瞬間も何度もあったけれど、続けてきてよかった。
自分に不満を思ったり、気を遣わせてしまったこともあったと思うけれど、楽しかったです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
克
KDU
BIG BLUE
#27 藤田寛史
次はラクロス大好きでプレー、動画分析全てで真面目なじょう。
4回 藤田