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2024

引退ブログ 『88番号足るを知る』 照屋拓

2024年度近畿大学男子ラクロス部オフェンスの照屋拓です。

OB,OG,保護者の皆様、並びに日頃より応援していただきます関係者の皆様、この場を借りて心より感謝申し上げます。


引退ブログを書くにあたって、何を書けばいいのか、どのようにまとめればいいのか分からなかったので、僕なりの視点で、その時経験したことや感じたことをできるだけふり返ってみました。



2021

僕が大学に進学した年はコロナがまだ流行していたから、大学は最初の2週間だけ対面で授業があって、そこからはオンライン授業だった。何もすることがなかったし、喋り相手もいなかったから、地元の友人と電話ばっかりしていた。そんな中、北九州の大学に進学した友人がラクロス部に入って、そこでラクロスというスポーツを楽しんでいることを知った。

11月に対面授業が再開して、英語の授業で小田に出会った。当時の小田は金髪坊主で授業には少し遅れてきて、いつも眠そうだった。小田と喋るようになって、彼がラクロス部に所属していることを知った。友人がやっているってこともあったから、小田を経由してラクロス部の見学に行くことにした。


練習はとても活気があって、みんなラクロスを楽しんでいるように見えた。小田も授業中とは別人のようにいきいきしていた。


そういう姿を見て、ラクロス部に入ろうと思った。


2022

年が明けて何回か見学に行って、一月末にラクロス部に入部した。

練習は厳しかったけど、みんな声をだしていて、盛り上がっていて、楽しかったし、ラクロスは面白かった。


先輩方が褒めてくれるのもあったし、同期にも追い付きたかったから、春休みは毎日壁に行っていた。一日何時間も壁に行って、時には一日中自主練することもあった。でもそれが全く苦じゃなかった。昨日できなかったことができるようになることが嬉しかったし、それを練習で試したいという気持ちがあった。


部活に入って3か月たった5月ごろには6on6に混ぜてもらうようになった。


ここで初めての挫折。部活に入って3か月で4on4 もせず、いきなり6on 6 に投入されて全く意味が分からなかった。動きながらのパスとキャッチに加えて、ワンフォーワンとかミラーとかフローとか戦術と戦術用語の理解も求められて頭がパンクしそうだった。今思い返しても、この時期がラクロス生活の中で一番しんどかった。


そして慎太郎がうざかった。慎太郎のキャッチミスなのに「もっとボックス投げてや」とか初心者の僕には理不尽にしか思えない要求ばかりしてきた。そのくせ慎太郎はよくミスをした。彼の投げたボールが貰い手の頭上をはるかに超えていって、みんな少し上を見上げるってこともよくあった。その度に慎太郎は小さい声で「ごめん」言ってしゅんとしていた。その姿をみて腹が立った。


初めて数か月で要求される事と、慎太郎とが続く日々で本当にしんどかった。こいつは人のやる気を奪って自分のやる気に変える悪魔なのかと思った。侑さんは覚えているか分からないけど、この時期、後から入ってきた僕にいろいろ気を使ってくれた。「最近ラクロス楽しめているか?」って連絡をくれることもあった。大智さんもたまに僕の良かった練習動画を切り抜いて送ってくれて、褒めてくれた。個人的に大智さんのプレーに一番憧れていたから嬉しかった。


二人の影響もあって、僕も後から入ってくる者に対してある程度の敬意をもって接しようと思った。

6月ごろには新入生の練習も本格的になった。後輩も十数人入ってきてくれて、コーチはわたるさんとラオウさんになった。一月末に入部した僕は一回生大会の出場権利をもっていたのもあって、ともやさんが「一回生と一緒にサマーに出ながら、基礎練習から見直すのもいいんじゃないか。」と言ってくれた。それもそうだと思ったし、慎太郎とも離れることが出来るからキャプテンの則定さんに連絡して一回生の練習に混ざることにした。


一回生はラクロス部に入り立てということもあって、けんしんを筆頭にやる気がすごくあった。同期が慎太郎を除いてあんまり壁に行く習慣がなかったから、よく後輩を誘って壁にいった。


練習に関してはハードだったけど、基礎的なメニューが主で、その点では気が楽だった。純粋に練習を楽しめたし、ラクロスを頑張ろうと思えた。


夏季大会のサマーと冬季大会のウィンターはチームでも個人でもたいした結果も残せず終わったけど、少しはうまくなってきたという実感はあった。


そして、けんしんは隣で見ていてびっくりする程成長していた。


2023

この年はただただともやさんとレオさんを勝たせたかった。そのために頑張った。裏からのフィードが上手いともやさんと右シューターのレオさん。左シューターのけんしん。そして視野が取れていて繋ぎが上手い浜崎と自主練全くしないけど得点の嗅覚があるこうへい。その中である程度の起点の強さとパスキャッチ能力を求められて僕が採用されていた。ウィンターが終わって気が抜けて、さぼりがちになったけど、4月頃からまたしっかり壁に行くようになった。練習前は20分くらい体幹とか自重トレーニングをして練習に向かうようにもなった。与えられた役割をこなせば二人が勝利に導いてくれる。そう信頼できる技術と熱量が二人にはあった。


リーグ戦では主力として出させてもらった。一つ上の世代と比べたら大幅な戦力ダウンだったけど、それでも気持ちをもって挑むことができた。


どの試合も印象に残っているが、京大戦と関学戦が特に印象に残っている。


京大戦では、リーグ戦初得点を決めることができた。周りが点を決めていく中で、僕だけ決めていない焦りもあったから点を決めることができて本当に良かった。フィールドの選手、ベンチの選手、スタッフ、カーリーさんや浩一郎さん達コーチの方々もみんな喜んでくれて嬉しかった。何よりともやさんとレオさんが喜んでくれたのが一番嬉しかった。


関学戦はレオさんが無双していて、関学相手に近大史上初めて勝てるかもと思える試合だった。でもそんな簡単に物事は進まなくて、試合終了間際、近大があと一点とれば同点という状況だった。そんな中クリース付近で発生したグラボをともやさんが拾ってそのままシュートを放った。僕もクリース付近にいたから覚えているけど(多分三苫っていうセットプレー)、本当にボール一つ分ゴールポストの上だった。ともやさんはニアシューが上手くて十八番みたいなものだったから、一点を取る難しさみたいなものを教えられた気がした。


僕が頑なに88番を背負っていたのは、誕生日が8月8日という安直な理由からで、この年の誕生日はこうへいが主宰して同期と後輩何人かでささやかな誕生日会を僕の部屋で開催してくれた。こいつは俺の年を馬鹿にしているのかとも思ったけど、まあ、かといって一緒に過ごす相手がいる訳でもなかったから嬉しかった。横井は臭すぎるハブ酒、浜崎は着ることはないであろうTシャツ、小田は今ではベランダ専用になっている草履をくれた。翌年もこうへいがこの会を開催してくれた。

リーグ戦は2勝2分け2敗で、近大史上初の4位だった。


こうしてその年の4回生が引退した。


オフェンスは要だったともやさんとレオさんが引退した。


けんしんも怪我で離脱することになった。


2024

横井が主将、慎太郎が副主将で新チームがスタートした。


想像していたけれど、ともやさん、レオさん、けんしんが抜けたのはオフェンスとしてはやはり痛手だった。浜崎も怪我で以前のキレがなくなっていた。このチームでどうやって戦っていくのか分からなかった。


今振り返っても今年が一番努力できていなかった。


壁も全然行かなくなった。練習前の自重トレーニングも寝る前のストレッチもやらなくなった。


春くらいには、睡眠リズムもずれてきて夜眠れなくなっていた。眠りたいけど眠れなくて徹夜のまま練習することもあった。そして何回か遅刻もした。他の4回生も遅刻が目立って、あまりにも多いから、お互いにちゃんと注意することもなかった。そんな頃、たっちゃんさんに呼ばれて、早く練習に来て、ショット練習をしなさいと注意を受けた。その後も、たっちゃんさんは何回か同じ事を言ってくださった。頭では分かっていてもそれを行動に移すのが難しかった。日々の練習を大切にできなくなっていった。


練習の雰囲気は悪かった。オフェンスは2,3回パスを繋げば、そこで誰かがミスをした。僕も以前はしなかったミスをするようになった。足は重くなって、体は思うように動かなくなった。


いつのまにか、僕がラクロス部に入部した頃の厳しく活気のある雰囲気が無くなっていた。そして、僕自身4回生としてそういう雰囲気を創っていくという意識に欠けていた。


そういうチームで勝てる訳もなく、練習試合では負け続けた。

リーグ戦が近づいても、その雰囲気が変わることなくて、そのままリーグ戦を迎えた。


僕はリーグ戦を通して、3得点2アシストに終わったけど、それでも、去年の京大戦の一点の方が嬉しかった。もっと出来たし、やれることはあったという感じが否めなかった。そしてかなりミスをした。


結局どこにも勝てなくて、僕たちは入れ替え戦をすることになった。


入れ替え戦に向けてチームの共通認識や雰囲気を見直すため全体でミーティングをすることになった。

怪我をしているけんしんがチーム全体に訴えかけているのを見て、胸が痛かった。だから、つけ刃すぎるけど無いよりましだと思って、残りの時間はラクロスに捧げることにした。それから毎日左右最低500回ずつの壁と体幹と自重トレーニング、寝る前のストレッチをした。言い訳をしたくなかったから谷あきと蛍光色のスパイクも買いに行った。


入れ替え戦前日は、どうせ誘わないと壁も行かないだろうと思って、こうへいも誘って、浜崎と稲原と4人で壁に行った。


入れ替え戦

この日、近大は、オフェンスはセットプレー中心の攻め、フェイスオフの際は両サイドをロングにするという奇策をすることになった。そうでもしないと点を取るビジョンが見えないのと、相手のフェイスオフが強すぎるというのが理由だった。1,2週間前に練習試合をした大経にはどちらもはまっていたから、立命館にもある程度は、はまるんじゃないかという期待があった。

でも立命館はそんなやわな相手じゃなかった。どちらの策も大してはまっていなかった。オフェンスに関して言えば、僕にラクロスを教えてくれた友人が言っていたけど、慎太郎が裏で落としどころにされていて、裏を使ったセットプレーは全くできていなかった。ロングが潰しに来るから慎太郎は相当緊張していたと思う。動きもいつもより堅く見えた。


試合は基本的に立命館のポゼッションで進んでいった。僕はこの日、体の調子が良くて足もめちゃくちゃ動いたけど、オフェンスになってもすぐに何らかのミスが発生したから、クリアとフライばかりしていた。


3Q後半にもなると、点差はどんどん開いていった。セットでもアンセットでもディフェンスが崩されていく姿をベンチで眺めることしかできなかった。

この頃にはほのかが、泣きそうになっていた。他のマネージャーも涙目になっていた。コーチボックスでは、けんしんや浩一郎さん達コーチ陣がフィールドの選手を鼓舞し続けていた。


セットプレーは刺さらないから、オフェンスは普通に攻めることになった。裏に回してもつぶされると思って、起点でしかけてそのままショットを打った。3回くらい打ったけど、どれも入るという感触は無かった。外れるショットを見て、ショット連も全くしてこなかったなと思った。


試合はひっくり返ることもなく、3対12で近大は敗けた。大敗だった。今年、個人的にオフェンスで一番成長したと思っているしゅんけいは崩れながら泣いていた。そんなしゅんけいにかける言葉が無かった。


こうして近大ラクロス部は僕たちの代で二部に降格した。


最後の集合が終わって、慎太郎、浜崎、こうへいとお世話になったコーチの方々に挨拶をしに行った。


しゅんすけさんは「このような結果を招いたのはコーチとしての自分にも責任がある。」と言ってくれた。

浩一郎さんも同様の事を言ってくれて、「こうなったのは春山のせいだ!にっしーさんのせいだ!」と気を使ってくれた。そういう姿を見ていたら、涙が出た。なんでこの人達が謝るんだろう、努力できなかったのは俺なのにと思った。

それからは涙が止まらなかった。のりさんの「勝ちたかったな。」という言葉に泣いて、いつも注意してくれたたっちゃんさんの顔を見て泣いた。

勝ちたかったけど、どうやって勝てばいいのか分からなかった。最後の最後になってそれを理由にしてちゃんと努力できなかった自分に気が付いた。

そして、そんな僕の隣で、涙目でしゅんとしていた慎太郎に腹が立ってまた泣けた。



 

入れ替え戦のことを書くのは気が進まなかったけど、これを読んで、来年のオフェンスが互いに切磋琢磨しようと思えるように、誰かが不甲斐ない気持ちで終わることがないように、そういう思いで見たこと感じたことをなるべくありのままに書いたつもりです。


日々の生活の中で努力し続けるのはとても難しいけど、誰かと共に勝つことを想像したら少しは簡単になるかもしれません(僕がともやさん、レオさん、そしてけんしんと勝つことを想像したように)。



こうふり返ると、多くの人に支えられてラクロスをしていたと思います。

真剣に向き合って支えてくれたコーチの方々。

ヘッドコーチののりさん、昨年度はカーリーさんにチームとして大変お世話になりました。

オフェンスとしては浩一郎さんとしゅんすけさんがこんな僕たちの為に何回もグランドに来てくださった。また、浩一郎さんには、OBとしての後輩に対する姿勢も教えてもらったと思っています。


マネージャーのほのか、かおる、はるか

選手として三人には特に感謝すべきだと思っています。僕が入った頃にはあんなにいた同期マネージャーも、みんな一人ずつ辞めていって、でも三人は残ってくれた。マネージャーをやったことはないけれど、人のために動くということは、フィールドの選手とは違うしんどさがあると思う(しかも僕らは敗け続ける訳だし)。点を決めると三人が喜んでくれて嬉しかった。


主将、副主将の横井、慎太郎

横井は主将ってだけで大変なのに、この代の主将でとても苦労したと思う。そして、それを表に出さないようにするのも大変だったと思う。そりゃ泣くよ。

慎太郎も不器用なりにチームを引っ張ろうとしてくれたし、間違いなく一番努力していた。ただ人へのものの言い方ってある。プライベートはめちゃくちゃ良いやつなのにな。



そして、こんな僕を優しく迎え入れてくれた先輩方、なんやかんやで3年間共に闘った同期、「来年もやりましょう」と言ってくれる後輩達、いつも支えてくれたマネージャー陣。

皆さんのおかげで大変貴重な経験ができました。(何百回と共に練習して、2年間もリーグ戦に立たせてもらった!)


ラクロスを通して出会った全ての人に感謝します。

ありがとうございました。


とは言うものの授業は毎日のようにあるわけだから、練習には顔を出すことになると思います。

もう少し宜しくお願いします。


                                                                     4回 照屋拓

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