まず初めに、これまで近畿大学男子ラクロス部を応援してくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
皆さまの温かいご支援とご声援のおかげで、僕たちは25シーズンも活動を続けることができました。
本当に僕たちの大きな支えとなり、一部奪還という結果で恩返しをしたいという想いを胸に、日々取り組んできました。
しかし、その想いを結果として成し遂げることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
改めまして、これまで支えてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
おはようございます。
今年度、主将兼OFリーダーを務めさせて頂きました。
4回生 北野憲伸です。

どうしても近畿大学に行きたくて、指定校で大学から理転して情報学部へ進学。
4年後期の今もなおプログラミングを全く理解していなくて研究に苦戦しています。
そんな僕が、この大学ラクロス4年間の振り返りと、近畿大学男子ラクロス部と支えて下さった全ての人への想いを、語彙力には自信がありませんが、自分らしく、精一杯の思いを込めてブログを綴ろうと思います。
よろしくお願いいたします。
まず、率直な今の気持ち。
「一部奪還の景色を見せれなかったこと。」
「25シーズンの成果を結果で示せなかったこと。」
支えてくれた人達に、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「25シーズンは必ず一部奪還できる。」
周りからも散々言ってもらえたし、自分自身もその結果を成し遂げる自信しかなかった。
新チームが楽しくて仕方なく、部員のラクロスに真剣に向き合う姿勢や熱意を評価して頂いたのか、支えて下さる人達もより一層コミットして頂いて、最後必ず恩を返したかった。
リーグ戦予選は負け無し。
最後の最後で負けた。
入れ替え戦でこうしておけば良かったと悔しさの残る場面も多く、戦術面での反省もあります。
本当に悔しかった。
ただ、25シーズンで練習や運営面でやれることはやりきったという自負もあります。
妥協せず取り組み、チームとしても個人としても最大限成長できたと胸を張って言えます。
ラストイヤーほど濃いものはなかった。
どれだけ自信があったとしても、結果で全ては決まり、そこで評価される。
4Q終了時、これまでやってきたことが全て否定されたような感覚になり、引退の実感が全く湧かなかった。
一部奪還を成し遂げられなかったからこそ、25シーズンで積み重ねてきたことを徹底的に見つめ直し、疑うべきところは疑い、26シーズンへと必ず繋げていって下さい。
26シーズンの色が溢れる新しいチームで、来年度こそは一部昇格して欲しいと心から願っています。
僕も1人のOBとして、一部昇格に向かい頑張る姿を全力で応援し続けます。

ここからは
①4年間の振り返り、
②支えて下さった人達への想い。
この2つに分けて綴っていきます。
① 4年間を振り返って
・1回生
幼稚園~高校まで野球一筋。
大学でも野球を続ける気持ちだったけど、Twitterでラクロスの宣伝をしているともやさんとあみさんの投稿がきっかけでラクロスというスポーツに興味を持つ。
DMでも丁寧に対応して下さった。本当に感謝してます。
気になったらすぐ行動していた僕は、直近のラクロス体験会に参加した。
初めての体験会では既に入部を決めていた、ロブパネルが上手いんよばっか言ってるハセショウがいた。横文字ばかりで先輩かと思った。
私服で体験会に行った僕は、やたらお洒落って褒めてくれてその挙句にはもう入っちゃおかって軽いノリで言ってきた照屋たくさん。全部が懐かしい。
2回目の体験会では、にっぷさんと話をした。
野球出身で活躍していて、関西ユースの選手ということも知りその姿が格好良くて、僕も高い個人目標を立てて本気でスポーツに打ち込みたいと思った。
ラインドリルのだいちさんのパスが愛無くて怖かったのも覚えてる。でもミスした時は声めちゃ高くて笑ってしまったのも懐かしい。
準硬式と迷いながらも5月にラクロス部への入部を決断する。入部してからはひたすら壁、南グラで毎日のように練習をしていた。たまに、たいちやゲンキ、こうしろーがいた時はほんと楽しかった。

サマー前の全体練久宝寺Gでこういちろうさんと初めて出会う。ランシュー、ジャンシュー、ssdfが桁違いに上手くて衝撃を受けた。
OBとして社会人でも本気で取り組む姿は格好良くて、僕も上を目指したいと思う大きなきっかけになりました。アカウントを教えてもらったのも懐かしい。
田口さんとの掛け合いがまじでツボでした。
サマー前の夏休み期間にいつものように自主練していると、きょうすけさん、りょうへいさん、ながえさん、みずきさん、けんしろうさんと自主練する機会が何度かあった。
きょうすけさんをみて左ミドルを学び、1回生とか関係なく横振りを練習しまくってた。
りょうへいさんからはショットクレイドルをハセショウと一緒に教えてもらって、家やグラウンドで座ってずっとやってた。ながえさんにアドバイスをもらうと大体「強く振るんや」「気持ち」などと野球部みたいな脳筋ぽいアドバイスも懐かしい。1回生の僕にとても親身に教えてくださりとても嬉しかった。
みずきさんのまくり動画撮らせてもらって真似していたのも懐かしい。けんしろうさんも何度かシュート練習をしに来てくださっていて、1回生の頃、実際のシュートを間近で見たときの衝撃は今でも覚えています。
動画を撮って何度も見返し、自分なりに分析し、自分の基準を一気に引き上げてくれました。
本当に感謝しています。
( 絶対けんしろうさんに追い付きます!! )
サマー、予選敗退。
個人としては数点取れたけど、完全に実力不足で賞も何も貰えず。
モリソーはエキマンで1on1仕掛け出した。
いよまさ、ゆうへいとずっとマッチアップしてたの懐かしい。
京都カップ、準優勝。
寝坊してきた?ときやからファストブレイクでパスもらって左ミドル決めて大喜び。
てつおのブレイクもいかちかった。
サマーの時と同じ対戦相手だった。阪大戦では10manされてぶっ刺さる。個人としては数点、賞も何も貰えず。
戦術など全くなく、ボール持った人が強く1on1を仕掛けると1回生コーチに言われ続けていた。流石に脳筋すぎた。今となってはいい思い出。
ただ、1回生の時は本当にお世話になり、色々と経験させて頂き成長できました。
わたるさん、田口さん、原さんには心から感謝しています。
そして春休み、思い切ってカナダ・アメリカへの約2週間の海外武者修行を決断。

zoomでダイドーさんにも熱意が伝わり少し費用を負担して頂いた。ラクロスへの向き合い方、考え方が特に変わり大収穫の旅だった。この海外武者で早稲田さんとのご縁も生まれ、今の内定先ダイドードリンコにも繋がった。
「迷ったら挑戦」。これが僕を大きく成長させてくれました。
・2回生
オフシーズンでれおさん、こういちろうさんと自主練している時、背番号を変えたいなって話をしていて、#0 を付けることになった。たくほさん以来です。
3年間この番号で戦い抜くと決心する。

22シーズン活躍していたれおさん、ともやさん、そうたさんと一緒にラクロスができるのは嬉しさと不安が混じった感覚で、またもや自主練の嵐。
実力もある程度ついてきて、その姿勢を評価していただけたのか、新チームからはスタメンに選ばれた。
しかし、自分で崩して点を取ったり、アシストするようなことはほぼ無く、ともやさんやれおさんにパスを貰って決めさせて貰ってた。
2回生でスタメンで出場してたし、それなりに点も取らせてもらってて、勘違いして現状維持になったこと今でも反省しています。
練習試合や振り返りの中で、少しずつ戦術理解が深まり、スーパーカップでは覚醒。
迎えたリーグ戦ではフル出場4得点。
結果は1部4位。ファイナル3まであと一歩だった。
たけとさん、かいとさん、ひろとさんの試合での勝負強さ。ともひろさんの試合になると真剣な顔してグッディーしてるのも懐かしい。

練習試合では負けが多かったのに、リーグ戦の試合を重ねる毎に結果が出始めて自信も持てたし、関西制覇までの道のりが見えた時は本当に嬉しかった。
だからこそ4位は本当に悔しかった。
ともやさんの涙を見て、「来年こそこの景色を超える」と心に誓った。
ただ、振り返ればツケが甘かった。
もっと僕が戦術やIQ面に向き合っていれば、もっと勝利に貢献できた。
それが2回生の一番の後悔です。
ショット本数自体も少なく、2回生でありながら 2回生らしい思い切りを出し切れなかったと強く感じています。
ガッツを体現すべき場面で自分らしさを出せなかったことが大きな反省点。
だからこそ、新2回生には同じ後悔をしてほしくないです。ガッツで全てをぶつけてほしい。
れおさん、ともやさん、そうたさん、てるさん、こうへいさん(しんたろうさん)と組むオフェンスは、本当に最高でした。
練習ではピリつく瞬間もあったけれど、その分だけ学びがありました。
リーグ期間中にも大きく成長できたと感じています。心から感謝しています。

そして、このリーグ期間に腰の痛みが出始めた。
春にはテツオの車で東京武者へ。
日体、明学、一橋、青学。
大収穫で、刺激的な時間ばかりだった。
ここからいったとやどかん生活が始まる。
口をパンパンにして店外に出てきて“二郎余裕やったわ”と強がるウッキーは、東京遠征中のオフで観光を楽しみにしていたのに、まさかの足の大怪我で大阪へ帰還。
テツオが車を擦っても、何もなかったかのように振る舞うスキルには驚いた。
れーし、じろうさん、テツオ、ウッキー、いったと一緒に最高の経験ができたことが何より嬉しかった。
ただひとつだけ。
テツオがしきじで一人抜け駆けして、起こしてくれなかったことだけはまだ許していない。
・3回生
そうたさんと2人でオフェンスリーダーを務めることになったのは、「脳筋プレーから脱却し、責任を持ってチームを勝たせられる選手になりたい。」という強い想いからでした。
しかし、2回生のリーグ戦期間中に腰の痛みが出始め、痛み止めを飲みながら半年以上プレーを続けた結果、3月の診察で「休んでも骨が治癒しない」と告げられる。
医師からは、痛みが治まるには、手術でボルトを入れて骨を物理的に固定するしかない。
と言われた。
歩く振動で痛みが走り、座るだけでも、パスキャッチだけでも激痛。それでも痛み止めを飲めばリーグ戦に出られると信じながら1ヶ月ほどラクロス続ける。
しかし、痛み止めでも抑えられないほど悪化していった。
ラクロスをするために大学へ来ている。
そう言っても過言ではない自分にとって、「手術しても復帰は早くて半年後」という言葉は、絶望的だった。
悔しくて、怒りが込み上げてきた。
親とも手術する・しないでぶつかり、喧嘩にもなった。
自分のラストイヤーをどう迎えるべきか、何度も考えた結果、今年は違う形でチームにコミットし、次につなげると決め、手術を選んだ。
火曜ウエイトの日、みんなに手術の報告をしたときのことは今でも忘れられない。
ずっとプレーし続けていたこともあり、「しょーみ間に合うやろ」「なんで今手術すんの?」といった何気ない言葉が胸に刺さり、自分の痛みや覚悟を理解してもらえない悔しさでいっぱいだった。
オフェンスリーダーとして、戦術理解・ラクロスIQを伸ばし、オフェンスメンバーへ還元することに徹した。
雰囲気が少しでも良くなるよう、声出しまくることも意識した。
この2つに全てを注ぐ。
新歓の時期になり、僕は1回生コーチも務めることになる。
4月、練習を見学する立場だった僕は、グラウンドに来てくれた新入生にラクロスの魅力を伝え、
勧誘しまくった。
そんな中、突然ラクロスアカウントをフォローしてきたりょう。
理工に、ラクロスやる気満々のやつがおるらしいという噂の正体はJPだった。
クラセンではひろきとあさひが合流し、言い合いになりかけた場面も懐かしい。
南グラに体験に来て、アメフトの体験会にも参加すると言っていたたいきは、当時からやんちゃで、今もその印象は変わっていない。
そして5月1日。
ついに手術の日を迎える。
無事に手術は終わり、術後3日間に待っていたのは、これまで経験したことのない地獄の痛みだった。
痛みに耐えきれず何度もナースコールを押してしまい、看護師の方々には本当に迷惑をかけた。
4日目、ようやく立ち上がれるようになると、医師や看護師さんたちが大きな拍手で迎えてくれた。印象的すぎて今でも覚えてる。
ゆうじろうさんとまおが、旅行がてらすだちくんとお菓子など持ってお見舞いに来てくれた。
本当に嬉しかったです、ありがとうございました。
ここから、コルセット生活が始まる。
完治までは最短でも半年。
部活に戻った初日は、たしか立命館大学との練習試合。
結果は大敗。
その後の練習試合も数が少ないうえに、試合慣れしておらず勝てない試合が続いた。
オフェンス陣の自主練習量も明らかに少なく、
しゅんさんにも繰り返し指摘していただいていたが、行動に変化が出ないまま、雰囲気はどんどん悪化。
戦術を共有してもパスが回らず、強く仕掛けれずという基本のミス。
反省の言葉が出ないまま同じミスで負ける試合が積み重なっていった。
新チームが始まってから練習試合や合宿でほぼ勝ち経験もなく、リーグ戦を迎える。
結果はリーグ戦予選全敗。入れ替え戦が決定。
入れ替え戦一ヶ月前とは思えない浮つく雰囲気。
こういちろうさんに雰囲気上げるために思いぶつけてこいって言われたのがきっかけで、クラセンで全体集合して全学年に直接思いを伝えたこともあった。
入れ替え戦では立命館大学に3-12で敗れ、二部降格。
れいしの代は二回生ながらチームに貢献してくれた。リーグ期間中に少しずつ成長し、活躍する姿を見るたびに心が踊った。負け続きの苦しい状況の中で、2回生におんぶにだっこだった。ほんとごめん。
正直チーム状況に少し呆れを感じていて涙ひとつでなかった。
負けと同時に、グラウンドアウトのタイミングでこういちろうさんがここにもう一度帰ってこよう。という言葉が原動力となり、来年以降この思いを背負い新チームを始動するのである。
「一部奪還の景色を一緒に見たい。」この想いから、入れ替え戦終わってからすぐその日にしゅんさんと、こういちろうさんにコーチのお願いをする。かーりーさんにも入れ替え戦前からHCをお願いしていた。
正直25シーズン、ワクワクさせる自信しかなかったし、一緒にシーズンを共にしたかった。
本当にありがとうございました。
1回生コーチも兼任していたため、上回生の試合や組織練以外では、1回生の練習や練習試合に関わった。
こうせいのシャットオフの時のオナラはMVP。
練習試合は確かサマーまで負け無し?
基礎技術が高く、戦術理解も早く応用も利くため、見ていて本当にワクワクした。
練習や試合で選手が活躍した時には、マネージャーが本気で喜び、声を掛ける姿に素晴らしい代であると常に感じていた。そしてサマー優勝を果たし、最高の景色を見せてもらった。やりがいを感じたし、本当にありがとう!
今でも写真を見るたびに思い出すと同時に、その日に辞めたゆうごが写真に写っているのを見ると微笑ましく思う。
人数の関係もあり、京都カップは出場できず、ウィンタは合同チーム。
結果は予選敗退だった。
合同練習する時間も少なく、そんな中、短い期間で6on6を磨き上げるのが難しかった。
ひろきが最後、こうきさんの共有無視してこうきさんガチギレ忘れられません。
こうして、24シーズン幕を閉じる。
・4回生
移行期間でしんたろうさんとこうへいさんの合同ファミ開催。こうへいさんめちゃ面白かった。
終わってから、しんたろうさんにけんしん新チーム苦労するよって言われた。確かに振り返るとほんとラストイヤー濃かった。
そして遂にラストイヤーが始まる。
4回生が後輩たちを引っ張っていけるのか、正直不安で仕方なかった。
25シーズンは主将兼OFリーダーを務めることになった。
3年間のラクロス部での経験を活かし、チームの良い部分は伸ばし活かし続けるとともに、特に勝つチームになるために運営面を見直し、新しい取り組みに挑戦することを移行期間から意識し続けた。
例えば、コーチ陣の選定、練習の雰囲気や声のかけ方、練習試合数、集客数の管理、応援グッズや横断幕の作成、主将として誰よりも近大を愛し行動する姿勢を体現することなど、多くの取り組みを実行した。間違いもあっただろうけど、チームの改善に繋がることの方が多く、少しずつ勝つチームに近づいていったと自信を持って言える。
スローガンは「ガッツ」
部屋に自分の習字で書いたガッツを飾っていていいなと思ったのがきっかけ。
僕が、25シーズンで理想とするチーム像。
それは、
選手、スタッフ、コーチ、近大に関わる人達それぞれの、「根性」持った個人のプレーや日々の行動が、チームを勢いづけ、近大の流れを作る。
これだった。
ガッツを掲げてこそ、これをチームで体現できると思った。同期とも話し合い、即決定。
遂に腰も治った。
メットオンは約1年振り。
オフシーズンということもあり、自主練の時間は山ほどあり、シュートは感覚を少しずつ取り戻す。
元々得意な訳ではなかったけど、久しぶりに1on1をした時は本当に絶望的だった。
自分は怪我して実質3回生。ラストイヤーにも関わらずそれが本当に悔しくて、これまで以上に自主練、動画での研究分析をひたすら行った。そして全体練習が始まり、25シーズン開幕。
2部トップリーグ優勝。
産近甲龍戦優勝。
練習試合も月二回以上行い、24シーズンと比べ試合慣れし、チームは勝ち癖がついた状態となる。
中四国遠征、スーパーカップでは悲惨。
かーりーさんから大説教を受けることもあったけど、今となれば良い思い出。
皆とガッツ盛りしたのも懐かしい。けんじろうがノリノリで皆のご飯を盛ってた。

主将とOFリーダーの両立に初めは不慣れでもあり追われる日々。
兼任をしていて、決して頑張っているアピールだけはしたくなかった。
頑張ってる感出てノーガッツやった時あったらほんまごめん。笑
悩みが増えることもあったけど、それでもラストイヤーは最も濃密で皆とラクロスできて楽しかった。
デンワンや数的有利メニュでの皆の掛け声とか好きだった。ひろきやこうせいのスパイシーとか復唱もおもしろかった。
これからも他メニューでも皆が常に雰囲気にも拘って欲しいなと思います!
迎えた、リーグ戦。
vs京産 7-7
vs京工 4-2
vs追手門 7-3
vs神戸学院 9-4
vs関大 10-1
vs甲南 8-6
圧倒はできなかったけど、無事目標の1位通過達成。
入れ替え戦は大阪経済大学に決まる。
チームの雰囲気、各々から溢れる自信。
スカウティング(かーりーさんの協力が非常に助かった。)
準備満タンだった。

入れ替え戦当日、部活動をこの日まで全力で走り切ったこと、勝利への強い意志、多くの感情が入り混じっていた。
25シーズンずっと言ってきた「ガッツで一部奪還。」
しかし、結果は4-6で敗北。
これまで共に戦ってくれたチームメイト、支えてくださった皆様に対して、一部奪還の景色を見せることができず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
結果で恩を返せず、、、
25シーズンが終わる。

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◎ 4年間を振り返って、僕が新しく学んだことと大切にし続けたこと。
考え方が良い方向に変わったり、誰かのためになれば嬉しいです。
端的にまとめられるよう意識して書きます。
(1)チームを愛する。
チームに目を向ける人がどれだけいるかが、組織の強さを決めると思う。
僕は主将兼OFリーダーとして、運営面や組織運用について考える時間が格段に増えた。
そして、
「近畿大学男子ラクロス部が大好きで、皆と一部奪還の景色を見たい。」
という想いが何より先にあった。
その想いがあったからこそ、プライベートの時間を削ってでもチームのことを考え、行動に移すことが全く苦にならなかった。
結果として一部奪還は成し遂げられなかったけど、チーム状況を勝利に近づけるところまでは成長させられたし、組織としてもレベルアップしたと思う。
チームの目標達成のために、チームに目を向け、自分がまず動く。
チームメイトを大事にし、チームを愛し続ける!

(2)恩を返す。
部活動は多くの支えがあるからこそ、成り立っている。
自分の時間を削って指導して下さるコーチ陣、OBOG・保護者・関係者の皆様・大会運営の皆様などなど。
そして、自分の役割を責任持って果たしているチームメイト。
それらを決して「当たり前」と思わずに、感謝を忘れないでほしい。
自分本位にならず、結果や普段の姿勢で恩を返すという意識を持つことが大切であり、組織としても1段階レベルアップすると思う。

(3)ゲームライクに拘る。
日々練習しているのは、試合に勝ってチーム目標を達成するため。
どの練習にも意味があり、理解して取り組むかどうかでゲームライクさが大きく変わる。
「試合のどのシーンを再現しているのか」を常に考え、新しい技術や試合でのミスを練習で試行錯誤する。
なんとなく練習をしていると、試合で点を取っても説明できず再現性がない。
練習の時からゲームライクに考え続け、試合での引き出しを増やしてほしい。
自チーム練に加えて自主練でクロスをひたすら触る習慣がつけば、得意分野の強化や不得意の克服、さらには試合のシチュエーションを踏まえることで成長スピードが加速すると思う。
皆が自主練も当たり前になればチームが強くなるに決まってる。無限グラウンドやしラクロスしまくろう!
(4)ガッツ
試合で勝つために最重要なのはメンタルだと思う。
これは中学野球の公式戦で痛感した。
優勢でも劣勢でも、まずは自分がその状況を楽しむことが大切。
「ミスしそう」と思えば本当にミスをする。
試合こそ楽しみ、まず自分の「根性」持ったプレーや行動で、チームを勢いづけ、近大の流れを作る。流れを引き寄せ、チーム全体を押せ押せムードに持っていく。
リーグ戦では常にガッツ体現することを心掛けていた。
ラクロス技術や戦術よりも、まずはマインドを整える。それが最もゲームライクだと思う。
試合はガッツのメンタルを強く意識してほしい。

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