こんにちは!
ラクロス部の裏キャプテンこと中村賢明(主務)からバトンを受け取りました、
たい焼きはシッポから食べる派のFO/高部隼渡です。
さてさて私、高部隼渡の引退ブログの幕開けです!
皆さんハンカチのご準備を!用意はいいですか?!
はじまりはじまり〜(拍手)
まずは、この場を借りて感謝を申し上げたい人がいます。
“ママ、産んでくれてありがとう。”
ここまで大きく健康に育ててくれた母親とバイク好きな父親には感謝しかないです。
ラクロスの動画を見せても老眼で選手すら見えないふたりだけど、この大学生活を楽しめたのは両親のおかげです!
ありがとうございました!
続いて、日頃から多大なるご支援を頂いているOB、関係者の方々にこの場を借りて御礼申し上げます。
今後とも変わらぬご声援の程、よろしくお願い致します。
ここからは僕のラクロス人生を振り返りながら
思い出を綴ろうと思います!
1回生の10月頃、僕はラクロス部に入部しました。
グランドに初めて訪れた際にコーチだと思われていた
のは懐かしい話です。
そして運動不足だったおじさんの僕は怪我をしてしまいなんやかんやで、まともに試合に出たのが2月末のつま恋でした。
2回生になり、5月の和歌山遠征でモチベーションは爆上がり。これから頑張ろう!そう思った1週間後の練習中に右膝前十字靭帯を断裂しました。
それから、手術を経て1年以上のリハビリを乗り越え
3回生になり満足に動けるようになった頃にはコロナ禍真っ最中。
そして3回生の初夏、本格的にFOの練習へ参加しましたが、コロナ禍で練習試合も無くFOとして初めて出場したのがBリーグでした。
もう分かりますね。
“こいつ、、、全然ラクロスしてないやんw”
FOとしてプレーしたのはたった1年数ヶ月でした。
みんながどんどん上手くなって成長している中、自分ができるのはリハビリだけ。練習後、みんなとご飯に行ってラクロスの話を聞いてるのが辛くて、明るく振る舞ってるのもしんどくて、何度か辞めようと考えましたが、その度同期に支えられました。
本当に感謝しています。
弱音を吐いていても、
「辞めたらあかんで。」
「お前は必要やで。たぶん。」
そう言ってくれる仲間が居たから
僕は辞めずに頑張れました。
当時は上手くなって試合出るんだ!なんて全く思ってもおらず
支えてくれた仲間を大切にしたい、
それだけでラクロスを続けていました。
しかしFOというポジションに火がついたのが何気なく出場した3回生12月にあったFogo Japan主催 FOトーナメントでベスト4に入った瞬間からです。
僕にまだ選手としての居場所がある、
頑張り次第でリーグ戦にだって出れる、
自分の実力にそんな可能性が見え
武者修行に何度も行き日々鍛錬しました。
そして4回生になり、交流戦・Bリーグ・リーグ戦と試合を経験する毎に経験値も上がりBリーグでは得点することもできました。
得点後、駆け寄ってくれる同期や後輩、こんな景色が見られるなんて思ってもいなくて、涙が出るくらい嬉しかったです。
何よりも、同期と一緒にフィールドに立っていることが幸せでした。辛くても続けて良かったなって思えた瞬間でした。
さらに、8年ぶりの一部昇格を決め、
その瞬間をフィールドで体感できたのは
貴重な体験でした。
振り返ってみると、ラクロス部に入部して得られたものは本当に多かったです。
同期・後輩、本当にありがとう。
ここからは最後のメッセージを贈ります。
同期へ
「たかべ〜」「おやゆび〜」っていつも呼んで仲良くしてくれてありがとう。
君らの支えなしでは僕の大学生活は楽しくなっていません!DFが下手すぎて、怒られた時に背中さすって
「気持ち分かるよ」って言ってくれる奴も居れば、練習でミスったら煽ってくる奴。僕のつまらんギャグにゲラゲラ笑ってくれる奴。それにダメ出しする奴。そんな奴らに僕は支えられました。
毎日が楽しかったです!これからも宜しく!
後輩へ
これを読んでいる後輩諸君。
この画面をスクショしておいて
悩んだ時に見なさい。
どうすればうまくいくんだろう、
何のためにラクロスをやっているんだろう、自分って必要なのかな、
悩むことは誰しも必ずあると思います。
そんな時、
僕の顔を思い出してください。
多分どうでも良くなりますw
以上です。
次のブログは…
ラクロス部のツッコミ係長
「力道山」こと松西陸です!パチパチ!
彼は僕と同じポジションで切磋琢磨した選手です。
彼の存在は僕にとって成長の糧となりました。
最高のライバルでした!
ではみんな一緒に〜、、、せーの!
「リキ!リキ!力道山〜!」
4回 高部隼渡